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Excès, et Marges.

「余白への書き込み」

新書

気が付くと6日もエントリを更新していなかった。特に理由はないが、あまり余裕は無かったように思う。

近頃は雑多に知識を摂取すべく、新書ばかり読んでいる。ああいうたぐいの本は理解をさせることこそが至上目的なので、ひたすらわかりやすく解説されている。一冊読むのに何日もかからないものばかりだ。

それこそネットサーフィンのような心持ちで寝る前に読むことができるので重宝する反面、「わかりやすさ」によって他の重要なアクティビティから疎外され始めているような感覚に襲われる。

ひとつは「わかりにくさ」への嫌悪感であって、晦渋な文章への免疫が日に日に落ちているように思える。

ふたつめは思考の枠組みが「わかりやすく」なってきているということで、これはつまり、物事を簡単に物語化して消化してしまう発想に陥ってしまっているということである。

例えば歴史の事実を整理するとき、人は歴史の流れを抑え、理由づけすることで史実を有機的に結びつける。こうすることで些事に囚われること無く大局を捉えることができる。

反面、歴史にかぎらず世の事象は単純なストーリーに沿って発生しているわけではない。常に様々な要因が複合的に重なって起こるものであって、人間はそれを一つのアスペクトから判断しているに過ぎない。

新書もわかりやすさを重視するために、難解な事象を物語に置き換えて解説するが、それは必ずしも正しいとは限らず、またその正しさは新書や新書的な見方によっては判断できない。

よって、知識を摂取するだけではなく、その知識を前提としてどのように情報や事象を判断するか、その判断力を批判するかをバランスよく鍛えなければ、思考は凝り固まるばかりだ。