Excès, et Marges.

「余白への書き込み」

占い

占いに騙される奥様と家庭崩壊の特集をちらっとテレビで見た。真っ当なやり方で稼いだことがないからそういうものに無批判に金銭をつぎ込むんだと、大層偏見に満ちた斬り方をすればそれまでだが、やはり占いとかスピリチュアルなものにハマる方々は今なお大勢いるようだ。
僕はいわゆる占いには全く興味が無い。「占い師」という人間がそもそも信用出来ないというのもある。別に占いそのものが非科学的だから信用ならないというわけではない。

しかし、一番の理由は、占いで何を得られるかだ。占いにはまらない人間の占いに関する見方は多様だが、占いにはまる人間の心理はある程度共通項があるのではないだろうか。
人は何のために占いをするか。それは幸運を得るためである。もっと言えば、より楽な手段で幸運を得るためだ。
人は楽をして利益を得たいと願う。しかし、前々から感じていることだが、その理由は身体的な苦痛だけではないのではないだろうか。
つまり、より賢く、楽な手段で上手く利益をかすめ取る、その様にこそエクスタシーを感じているように思えてならない。
配偶者を選ぶとき、玉の輿に乗りたがる人は大勢いるが、それはお金持ちの配偶者と結婚することで金銭的に不自由のない生活を送りたいというよりは、配偶者のステータスを得ることで自分は「何もしていないがこれだけのステータスのある人間を手に入れた」という事実を消費している。ブランド品も論理的には大差ない。もしかしたら勉強してないアピールもこのたぐいかもしれない(このへんはもしかしたら謙遜の文化がネジ曲がったものと言えるかもしれないが)。人は往々にしてアプリオリに得たものほど自慢したがる傾向にあるといえる。