Excès, et Marges.

「余白への書き込み」

コストパフォーマンス

随分前の草稿だ。

 

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僕が大学院に進学したとき、「もっと勉強したい気持ちもあるけど、ウチはお金が無いから院進学はちょっと、、、」という声を度々耳にした。もちろん、金銭以外の理由があってのエクスキューズなのかもしれない。しかしながら、もし金銭だけがネックになっているのであれば、長期的な効用を考慮した上で人生の選択を考慮すべきだろう。

僕らの周りにはコストパフォーマンスという言葉(しばしばそれは機会費用と混同される)と、それを基準とした意思決定があふれている。しかしながら、実際にコストとパフォーマンスを正しく算出し、その合理性に沿った行動をしている人間は少ない。例えば院進学に機会費用を含むコストの話を持ち込む人は、死んでも怠惰による留年をしてはいけない。入学時に生協で20万もするパソコンを買う人は、Macbookを金持ちの道楽だと言えた義理ではない。文学部を人生の墓場だと言う人は、何を投げ打ってでも優良企業に就職すべきだろう。しかし、世の中はその反対の運動で満ちている。実際には、怠惰故に留年し、使いもしないオプションソフトを大量に詰んだパソコンを購入し、文学部生とさして変わらない企業に就職する人々は数多く存在する。

何故か?それは情報処理能力が十全に発達していなければ、肝心のコストパフォーマンスも、それ以前の「自分にとって何が投資になるか」、「何が自分の目標とするところか」も不明瞭のままだからだ。その場合、実際に留年してみなければ一年の重み、学費、学業にどれだけ打ち込まなければならなかったか、といった情報に直面できない。情報がなければ判断力も行使できない。つまり、選択肢を前に悩む人は、往々にしてグレーゾーンの判断ができずに悩むわけで、クリティカルな状況に追い込まれない限りトライ&エラーすらできない。