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Excès, et Marges.

「余白への書き込み」

礼節

僕は生まれてこの方一度も体育会系の団体に所属したことがない。にもかかわらず、割りと体育会系脳なところがあって、後輩に強制しないが、礼儀作法には気を使っているほうだと自負している(とはいえ、生来の気の利かなさが災いしてトータルではプラマイゼロかもしれないが)。僕が酒好きなのもあるが、先輩に誘われた飲みを断ったこともあまりない。

一方で、そういった上下関係アレルギーの人も多いらしく、「上司と飲むなんて奢られてもヤダ」とか「日本の上下関係は息苦しい」という意見もよく聞く。

思うに、マナーや礼儀作法とは、相手に自分の誠意を記号化して提示することだ。例えば「お世話になっております」という文言は、お世話になっていることや、それに対する感謝として機能しているものではもはやなく、共通の慣習コードを踏まえた上で敬意を表明するためのものである。お辞儀をするときに「頭を下げる意味がわからない。なぜ頭を下げなければならないのか」と言わないようなものだ。

何故記号化する必要があるか?そうしなければ細やかな配慮はすぐ見逃されてしまうからだ。いつも一緒に散歩している人が、実はいつも車道側を歩いていることに気づくことができるだろうか。マナーを知ることは、敬意を払うためだけのものではない。他人の敬意に気づくためのものでもある。

一番最初の話に戻る。体育会系的な礼儀作法は何故重要か。先輩は(そういう人もいるだろうが)後輩に雑用をさせて楽がしたいわけではない。僕の学部時代の先輩は次のように言いながら僕を諌めてくれた。

「俺がお前をこき使いたいからこういう小言を言っているんじゃない、お前が社会に出た時に困らないために言っているんだ」

先輩が注意しなければ、後輩は社会的な暗黙の礼節を知ることができないから、先輩は注意するのだ。