Excès, et Marges.

「余白への書き込み」

美容整形

以前、友人と「美容整形は許容されるか」という議論を行ったことがある。例えば、美容整形をした事実を隠匿して結婚することは道義上許されるか、逆に配偶者の美容整形を理由に婚約を解消することは許されるか、といった議論である。

仮に美容整形を「審美的な目的で肉体を改造すること」と定義したとする。この定義に従えば、ダイエットや筋トレ、エステも整形に当てはまるのではないだろうか。

昨今、ライザップのCMをよく見かける。2ヶ月で肉体改造を保証する趣旨のジムとして注目を浴びているが、ライザップが売り物にしているのは優れたメニューや施設、コーチングではない。ライザップが提供するのは「なんとしても2ヶ月で理想の肉体を手に入れるという強制」だ。

何十万というコストをかけ、完璧なカリキュラムを組み、トレーニングの時間を指定する。そうすることで肉体改造から逃れられない状況を自らに課す。簡単にいえば、肉体改造において最も難関である「継続する意志」、これを売るという構図を、ライザップはビジネスモデルとしている。

もし、整形は金で美を買う行為だという批判があるのなら、ダイエットや筋トレも、もはや金で美を買う構図から逃れられない。例えばダイエット食品に金銭をつぎ込むというのは、金で楽と時間を買う行為に他ならない。脂肪吸引カテキン緑茶に本質的な違いはあるだろうか?

では、歯列矯正はどうだろう。僕は子供の頃信じられないほど歯並びが悪かったために、学部時代に歯列矯正を行った。おそらく歯並びが健康上の問題を惹起ことはなかっただろう。単純に審美的な理由から歯列矯正を行ったわけである。これは美容整形と何が違うだろうか。

しかしながら、ここまで問いを提起しておきながら、僕は基本的に、美容整形を容認するつもりがない。理由は2つある。1つは、美容整形が近代的な「理想の人間」をどこかに想定し、そこに擦り寄せる形で美を定義しているからである。すなわち、これこそが正しい人間のあり方であって、そこに向かうことで私たちはより幸福になれる、という進歩主義的な発想だ。これは別に美容整形にかぎった話ではないが。

たとえ蓋然的なレベルで「美しい人間」が規定可能であったとしても、その追求には際限がなくなる。なぜなら、整形技術は自らの生々しい身体と向き合うことから個人を疎外するからである。近頃、個人のコンプレックスを刺激するようなCMのあまりの多さに驚きすら覚えるが、現実的には消費社会は「理想の人間」を創りあげ、それが幸福の条件だと説くことで我々から搾取している。何も搾取しているものが金銭だけでないのは、ミヒャエル・エンデの主張を挙げるまでもなく明らかだ。

2つ目の理由は、「審美的と」言いつつ、美容整形は最終的な価値判断を他者の視線に委ねている点である。繰り返すが、人間である以上自らの身体性から逃れることは本質的に不可能である。これは技術がいくら進歩し、肉体と代替可能なシロモノが開発されたとしても決して変わることのないものだと僕は考えているし、既にいくつかのエントリで示唆しているとおりである。

自らの美的感覚に従い肉体を改造すること自体に問題はない。ただしそこには優れて審美的な精神が備わっていることが条件だと考える。しかし、大多数の美容整形は不特定多数の他者の視線から生まれた(あるいは生まれたと本人が強迫的に盲信している)「美」なるものを志向している。それを金銭でどうにかする、というのは、僕には審美的な行いだとは思えない。であるからして、僕にとってはライザップも、アブトロニックも、美容整形も同列に思えるのである。「健全な精神は健全な肉体に宿る」というのはある意味で正しい。不健全な肉体が健全な精神を備えているかどうかが疑わしいからだ。

例えば交通事故で負った傷を美容整形するのはダメなのか、と言われるかもしれない。前述のとおり、僕は筋トレや美の追求自体を否定するつもりはないし、何事についてもレッセフェールであれとは全く思わない。その手段として取りうる方法に差がないというだけで、美容整形は撲滅さるべきだとも思わない。

ただし、その基準に審美性を据えるのであれば、それはもっと個人的なものに依拠していなければ、その行為はそもそも審美的でないと言いたいだけだ。美容整形をしなければ他人からの目線が気になって精神を病んでしまうというのなら、一向にかまわないし*1、モテるために美容整形をするというのも否定はしない。それは審美以外の別の目的に依拠するものだからだ。その目的が正当かどうか、このエントリで踏み込むつもりはない。

歯列矯正に関しては「完璧な歯並び」というのが明確であるため、「改造」という表現が適切でないように思える。なぜ、今まで整形に対して「改造」という表現を使ってきたのかというと、それは「改良」でも「改善」でもないからである。美がそこにおいて基準となっているのであれば、なにが「良い」のかはあくまでも決定され得ない。

とはいっても、それほどはっきりと歯列矯正と美容整形は別物だと表明することもできないのが現状だ。

*1:前述の理由から、本質的な解決になるとは思わないが