Excès, et Marges.

「余白への書き込み」

文体

小説形態素解析CGIというものがある。文章を貼り付けると文体を解析してくれるツールで、今回はこのブログのエントリから無作為に文章を貼り付けて分析にかけた。このブログは小説ではなく随筆なので、親和性のない項目もあるが、どのような文体でものを書いているか参考にすることはできる。概ね結果は以下のとおり。

 

地の文中心の文体のようです。
漢字が多いようです。難読漢字を用いていない場合、地の文と名詞の比率が高い可能性があります。
1つの文章が長いものの、こまめな読点でテンポを保っています。
文体やテンポにもよりますが、平均と比べだいぶ副詞が少ないようです。
指示語によって文章がうまく流れています。
接続詞が多すぎず少なすぎず、うまく挿入されています。
体言止めはほとんど使われていません。
連用中止法が平均より多めに使われています。
やや説明的・要約的な文章展開のようです。具体的には、自立語における名詞の比率が高いようです。
物事を形容する言葉と動きの描写の比率は平均的な範囲です。MVRが低いと動き中心、高いと形容中心となります。

 

一文一文が長くなるのは僕の文章の大きな特徴だ。これでも意識して短くするようにしているので、前よりはかなり短くなっている。代わりに読点はかなり注意して挿入するようにしているので、リズムは不自然なほど良いはずだ。

もう1つ意識していることは、連用終止形を抑えることだ。「〜し、〜を用い、〜であり、、、」と、連用終止形を何度も使うと一文がダレる。できるだけ一文一回にし、あとは適切な接続詞を用いるよう努めている。

体言止めは普通の文章であればほとんど使わないはずなので、無いのは当然かもしれない。先日「ツイッターで見かける研究者は体言止めばかり使う」とつぶやいた。要するに次のようなツイートだ。

「恵投された論考を拝読。民主化の機運が高まる中、学際的なアプローチは重要。引き続き研究に期待。」

140字制限のツイッターではリツイートされることを考慮して字数内にできるだけ多くの情報を盛り込むこともある。結果、体言止めで字数を節約することも有効だろう。僕はクラスタを意識させるような文体に見えるのでツイッターでも体言止めは使わないが。

最後に副詞について考える。僕は、副詞は書き手の主観を多分に含んだ表現だと考えている。例えば「非常に」「とても」「よく」「めっきり」といった語は、語の定義を書き手が決める極である。「非常に大きな山」を用いて、ある人は富士山を指し、ある人は高尾山を指す、ということもあり得る。

僕はよく「思う」「感じる」と文章を締める。自分の意見であることを明確に表明し、客観的でないものをさも根拠があるかのように話すことを避けるためだ。すなわち、主観的で独断的な発言をするためではなく、主観的に話していることを意識し、客観的な情報と峻別していることを表明するためのものである。

一方、副詞はそういう機能を持つものではない。副詞は語気を調節するものであって、ややもすればニュアンスを誇張してしまう可能性を持つ。客観的な情報を書いているようで、その情報に対する書き手の考え方や意見、態度が無意識的に副詞に反映されている、という事態はネットの記事でよく見られる。