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Excès, et Marges.

「余白への書き込み」

気になる表現

最近ゼミなどで学生の発表を聞くことが多い。そのなかで気になる日本語の表現がいくつかある。学部生のころと違って、もう僕も良い年なのでこういうことをとやかく言うとジェネレーションの問題で片付けられてしまいそうで嫌ではあるが、自戒の意味も込めて挙げてみる。

 

一つ目は「〜て」という表現。

例文:「この人はこういうことを言っていて、その背景にはこんな経緯があって、それからこういうことをして、、、」

とにかく話を切らない。どこが要点なのか判然としないので、聞いていて疲れる。

1フレーズが長いことは、特に文語体においてはよくあることだ。僕の文章はとにかく長いので人のことはあまり言えない*1

要するに、相手の理解を促進させるために話をする場合においては、どこがアクセントかがわからなくなるから、だらだらと喋らない方が良い。プレゼンのように事前の準備が可能なら、どこが要点なのかは自分で分かってるはずだ。随筆ならその必要はあまりない。読解力を要請されるのは読み手だからだ。

ただ、これはどちらかというと、語尾に自信がないから起こる現象のように思う。というのも、大抵こういう喋り方をする人は、「えー、次の章は《死の考古学》、ということで、、、」というように、言い切りを避けようとする。ですますで区切った方がはっきりする。もちろん、なんでも言い切れば良いというわけではなく、それは断言すべきか自分の推論に基づくものなのかによって判断すべきだろう。

 

二つ目は「すごい」という表現だ。

「なんていうかもうすごい、感動しちゃいまして〜」というように、半ば間投詞と化しているこの言葉。まずもって「すごい」は副詞じゃないし、日常的に「すごい」ことに出くわすことなんて少ないはずなので、僕はできるだけ使わないようにしている。

そもそも僕は間投詞が嫌いだ。初めてフランス語を勉強したときは「こいつらbonとかalorsとか言いすぎだろ」と思ったが、どうしてなかなか、自分が話すときは言ってしまうある程度は仕方ない。

とはいえ、「すごい早い」のように、表現そのものが間違っている場合は用いない方がスマートだと、僕は思っている。

 

余談だが、今日僕が行った説明会で説明をしてくれた人は1時間で「いわゆる」を100回くらい使っていた。誇張じゃなく。

もちろん口癖というのは確かに存在するのだが、フォーマルな場で多用して良いかどうかは自分で気づいて修正すべきだろう。ちなみにその人が「いわゆる」と言ったとき、その七割方は「言わない」ものだった。

*1:昔、小論文の授業で400字の文章を2フレーズくらいで提出したら「太宰みたいだな。文章ならいいけど、プレゼンするときは短くしろ」と言われたことがある。幸いにして僕は長いフレーズを頭に溜め込んでおけるほど記憶力が良くないので、話すときはそんなに長くはない、はずだ。