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Excès, et Marges.

「余白への書き込み」

幸福と数字

先日、自然科学の進歩主義を交えた上のようなエントリを書いたが、今日日経を読んでいたら次のような記事があった。

例えば経済学では、効用関数は消費者選好の指標であって、消費者の幸福度を定量的に計測した数値ではないという仮定がある。個人の幸福の度合いは比較しようがなく、モデル化できるのはあくまで「その人にとって2つの選択肢のうち、どちらがより好ましいか」だけである、という仮定だ。

フランスの哲学者ジャン・ボードリヤールが、フランス革命に端を発する平等の思想は「個人の幸福とは定量化可能なものである」という神話を捏造してしまったと指摘したのは1970年のことである。そろそろ当時から半世紀が経とうとしているが、テクノロジーは不可能を可能にするという進歩主義から、不可能はすべて可能になってゆくものだというドグマを生み出し続けているように思える。

 もちろん身体性と幸福感の相関関係を否定するつもりはないが、板チョコで幸福を感じる人もいれば、ゴディバ以外は口にすることすら嫌だという人もいるように、なにをもって幸福とするかは人それぞれなので、幸福の数値化、均質化は個人の選好を歪めかねないのではないかと思ってしまう。それを一企業が社内でやるとなると、いよいよ人間性のない労働環境が生まれてしまいはしないかと勘ぐる今日このごろ。