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Excès, et Marges.

「余白への書き込み」

専攻

僕は人文系の大学院生(修士課程)として、現代思想を専攻し、研究する身分である。それなのに、ブログでもツイッターでも現代思想、特に修論で扱う範囲について全くと言ってよいほど触れない。何故か。「研究している」という状況が非常にプレッシャーのかかるものだからだ。

最近いつも勉強している経済学や国際情勢については割りと適当な気分でモノが書ける。なぜなら、僕にとって社会科学の知識を得ることはただの「お勉強」であって、その限りにおいて僕はその領域について一素人にすぎないからだ。しかし、研究に関しては事情が異なる。

間違った理解を露呈してしまうことは沽券に関わる。別に僕は研究者として生きてゆくつもりがないのでどうでもよいところでもあるのだけど、ツイッターのフォロワーには真面目に研究している人がたくさんいる。プロフィールに専攻を書いている以上、迂闊なことはあまりつぶやけないなぁとついつい思ってしまう。

現代思想はとかく難しい。一次資料も多義的だ。主に僕はデリダレヴィナスを読んでいるが、まあ難しいことこの上ない。

資料の読解が難しいということは、情報処理がしづらいということだ。これが人文科学研究のキモなんじゃないかと僕は思う。未だに簡単な読解でつまづくことなどしょっちゅうある。つまり僕の頭のなかにはまだ、信頼できるソースが十分に確保できていないことになる。そうすると簡単に迂闊なことを言うことになるし、あまり有意義なアクティビティになるとは思えない。

そのため、先のエントリのように読解メモはちょくちょく書いてゆこうかなと思うが、何ぶん時間の掛かる作業になるので、必然的にブログのエントリにおける相対量は減る。それも已む無しかな、とは思っている。