Excès, et Marges.

「余白への書き込み」

面白い授業

1日書き忘れたから今日は書かないとな、と思っていたら2日目だった。時間間隔がおかしい。長雨のせいであまり調子が良くない。

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大学は目下履修シーズンなので、講義に関するいろいろな噂が飛び交う。単位のとりやすさという瑣末な事柄に囚われずに勉強できるのは院生の利点だが、翻って「面白い講義」とはなんだろうか。

僕が素朴にすぎるのかもしれないが、世の頭の良い学生はなかなか容赦の無い評価をする。「〜の授業は眠くなる」、「説明が下手」、「無味乾燥だ」、、、等。

僕は毎日8時間程度は寝るようにしているので、猫が教壇に立とうと授業中に寝ることはないが、「授業がつまらない」とはどういうことだろうか。

もちろんどうしようもなく話が下手な講師もいないことはない。去年はオムニバス形式の授業のTAをやったが、教壇に立つ12人ほどの講師のうち、どうしても2人くらいは何を言っているかを理解するのに骨を折る講師がいる。一方で、コメントシートの感想と、講師の講義と、その内容が必ずしも比例関係にあるようには思わなかった。

自分の興味ある分野でも講師の説明が足りなければつまらなく感じるだろうし、逆もまた然りだろう。僕は説明の上手な講師を選ぶことには賛同する。知らないからこそ、その分野の講義を履修するのであって、その分野が自分にとって有用かは履修以前の段階では不明瞭だからである。思わぬ領域に関心を持つかもしれない。

一方で、どう料理しようと無味乾燥に聞こえる領域は存在する。より正確に言うなら、学問を修めるにあたって、つまらなさに耐えなければならない段階というのは必ず訪れるものだと僕は思っている。例えば膨大な量の単語を暗記しなければならなかったり、理解できない文献をひたすら読み進めなければならなかったり、、、それはどうしても簡単には説明できなかったり、簡単に説明することで本質を損ねてしまうものであったりする。

1,2年の間はガイダンス的な授業が多く、理解の促進が優先される講義も多いだろう。ただ聞いているだけで十分なものばかりだ。しかし内容が専門化するにつれて、能動的に参加し、頭を回転させていなければついて行けない議論が展開される頻度は高くなる。晦渋な説明が必ずしも講師の責任に還元されることがないこともあるだろうし、説明が不得意なだけで、内容自体は含蓄ある講義をする講師もいるだろう。特に大学教授は予備校講師ではないのだから。別に教育を専門としているわけではない。

そういった講義をつまらない、単位修得の難しい講義だとして履修しないのは各人の自由だが、もったいないことをしているなとは思う。