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Excès, et Marges.

「余白への書き込み」

Rain

近頃曇天続きだ。天気予報を見るに霖雨の模様で、バイク通学の僕は憂鬱になる。

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そこから連想して、というわけではないが、個人的にとても好きな曲を。大江千里はあまり聞かないが、槇原敬之をはじめとして音楽家のフォロワーが多い印象がある。この曲もシングルカットはされていないが、名曲として知られている。

この曲は88年にリリースされたが、オリジナルの他に2つ、代表的なカヴァーが存在する。99年の槇原敬之によるカヴァーと、13年の秦基博によるカヴァーだ。

 

僕が初めて聞いたのは槇原敬之によるヴァージョンだった。

こういう区分の仕方はまったくもって各所から叱責を受けそうだが、槇原敬之は僕の追う限り、おおまかに三期に分けられると思う。つまり、初期、90年代後半(「UNDERWATER」-「Cicada」)、「太陽」以降、というように。初期に最もキャッチーなポップソングが多く、90年代後半が最も槇原敬之のセンスが発揮された時期だと僕は感じている。一方、「太陽」以降は普遍的でメッセージ色の強い曲が増えたので、あまり聞いていない。

センス、とはポップス解釈のオリジナリティももちろんそうだし、アレンジの能力もそうである。オリジナルアルバムとしてはCicadaに、それは結実していると思う。一方で、同時期のカバーアルバムであるListen to the musicや、矢野顕子への提供曲である「クリームシチュー」でもそれは確認できるだろう。

RainのカヴァーもListen to the musicに収録された曲だ。イントロにおける、空から降ってくるようなみずみずしいピアノの残響とクランチギター、それにストリングスとシンセが相まって、この曲の世界観をこのうえなく完璧に表現している。

 

続いて秦基博によるカヴァー。

 

やはりこちらのカヴァーも注目すべきはイントロだ。思うに、クランチギターの空気感を効果的に使えるかどうかが、J−POPにおけるアレンジの非常に重要なキモになる。つまり、コード感が薄いギターの音色をどれだけ効果的に使えるか。あまりギターにコーラスをかけない邦楽のアレンジでは、この表現が曲の世界を創りだすのに大きく関わっていると僕は思う。この曲もBメロ、サビにわたって薄くバッキングが入っており、音像を支えている。

ちなみに、大江千里のヴァージョンにはイントロがない。確証はないが、おそらく槇原敬之のヴァージョンは念頭に置いているだろう。ちなみにアレンジャーはメレンゲスピッツレミオロメンなどのサポート、レコーディングに参加しているようだ。

 

概ね10年周期でそれぞれのヴァージョンがリリースされているため、時代ごとの空気がよく反映されていて比較対象として面白い。大江千里のPVなんかは非常にバブリーな感じだ。

しかし同時に、それぞれのアレンジに、どこか時代を超越した普遍性を感じてならない。

 



最後に歌詞について。全編を通して短編小説から適当に数行を抜き出してくっつけたかのような、現実めいているのにどことなく匿名的な表現があふれている。特に印象的なのは2番のAメロだ。

別々に暮らす 泣き出しそうな空を

にぎりしめる強さは今はもうない

変わらずいる心のすみだけで

傷つくような きみならもういらない

 繋がっていないようで整合性がとれているように感じてしまう。まるで映画のワンシーン、登場人物の頭の中をそのまま言葉にしたような、目まぐるしく移ろう視点のダイナミクスがそこにはあると僕は捉えている。