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Excès, et Marges.

「余白への書き込み」

共感

昨日書いたエントリで述べた情報の非対称性は、経済学では「アドバース・セレクション」という名がついているそうだ。

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NLPの入門書を読んでいると、良好な信頼関係には共感が必要だと書いてある。確かに信頼という側面では共感は重要なファクターだろう。人間関係の「形成」でもかなりの割合で必要となってくる行動だ。

僕はあまり人と話すときに相手の意見を否定しにかかるようなことをしないが、普段から議論ベースで物事を考えていると日常会話の際にもそれが現れてくる危険が伴うので、なるべく気にはしている。

しかしながら、良好な人間関係の「持続」という場面において、共感のためにどこまで自らの意見を押しとどめることが必要かについては、また別の論理が働いているような気がする。毎日会う友人と話すとき、相手への共感を常に念頭に置きながら話していては気疲れしてしまうかもしれない。時には問題を共有して解決手段を互いに探す場面もあるだろう。その時は逆に、相手に価値判断を丸投げしてしまうことにもつながる。

もちろん万事がこの調子であるとは言わないが、共感を示しつつも、どれだけ自己を主張していくかの判断が、長期的な人間関係を気づくにあたって気をつけなければならないことであると感じる。そして、それは相手の出方によって推し量らなければならない変数であるために力量が問われる部分かもしれない。

例えば以前はやった「電車男」。あらすじしか僕は知らないが、あれは良好な人間関係の「形成」をハッピーエンドと捉えている。実際には電車男は非オタクの彼女と付き合っていくにあたってどれだけ滅私に励むかが問われてゆく。簡単にオタク活動を辞められるのなら最初から苦労はなかったのではなかろうか。