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Excès, et Marges.

「余白への書き込み」

3S政策

…iam pridem, ex quo suffragia nulli
uendimus, effudit curas; nam qui dabat olim
imperium, fasces, legiones, omnia, nunc se
continet atque duas tantum res anxius optat,
panem et circenses…

…我々民衆は、投票権を失って票の売買ができなくなって以来、
国政に対する関心を失って久しい。
かつては政治と軍事の全てにおいて権威の源泉だった民衆は、
今では一心不乱に、専ら二つのものだけを熱心に求めるようになっている―
すなわちパンと見世物を… 

ユウェナリス『風刺詩集』第10篇77-81行

かつてポル・ポトクメール・ルージュによる全権掌握下において、「再教育」の名目で知識階級を徹底的に粛清した。そのせいでカンボジアの文化は何十年後退したか、もはや定かですらない。

この悲劇はポリティークの領域の話だが、大量生産型の経済システムにおいても衆愚政治は利潤の増大をもたらすだろう。なぜなら、自動生産が確立していれば、もはや生産者は賢明な労働者を必要とせず、審美的な消費者の需要にそぐうべく、付加価値にコストを割く必要もない。このことは、情報の完全性がなければ完全競争市場が成立せず、消費者余剰が圧迫されることからも説明可能だろう。だからこそ企業は、ブランド効果などを利用して実体以上の価値を消費者のアピールするべく広告を考える。

例えばアイドルを映画に起用すること。映画の質的向上に一ミリも貢献しないこの登用が許容されるのは、大多数の消費者が映画の質を効用として享受しなくなったからであろう。

「守られなければ消え失せてしまうなんて、なんと神は弱々しい存在だろう」と言ったのは誰だったか。当然ながら西欧的な倫理や文化は恒常的に人間に備わっているものではない。もちろん西欧的な価値観を素朴に受容したいわけではなく、継承するにしてもそれは批判的になされる必要がある。しかしながら、歴史が示す通り、それは簡単に滅びてしまう可能性を有している。

中国の経済成長に伴い、米国の支配的地位はかつての趨勢を失いつつある。一方で、ヨーロッパの経済的なヘゲモニーはもはや復活を期待できないほどに失墜していると言ってもよい。

しかしながら、国連をはじめ西洋的な普遍主義は紛れも無く国際平和に寄与すべく発展してきたし、相対主義の台頭はあるにせよ、概ねこれからも西洋的な倫理観が妥当性を失わずにいると僕は思う。

逆に言えば、欧州の権威はそこに活路を見出すしかできないだろう。日本も力ではなく法による支配を選択する以上、それを意識する必要がある。

話がそれたが、要点は次の通り。

  1. 現行の経済システムにおいてはインテリジェンスの放棄が利潤の増加に寄与する
  2. 一度失ったインテリジェンスは元に戻らない

フランス料理でしか満足できない舌と、三食吉野家の牛丼でも問題ない味覚のどちらが幸福か、僕にはまだわからない。ただ、上記の通り、適切に情報にアクセスできないという事態は自身の効用を損ねる結果になるのではないか、とは思う。

そして、一度フランス料理でしか満足できなくなった舌が吉野家の牛丼に満足できるようになるには中々骨が折れそうな気もする。

 

もう少し詳しく論じたかったが、眠いのでこのへんで。いずれ加筆するかもしれない。