Excès, et Marges.

「余白への書き込み」

アウトプット

昨日、アウトプットに関して一言述べたが、もう少し詳細に、次のことを特に気をつけるべきかなと思い直した。

  1. 一日で学んだことを見落とさず、細かなトピックから論点を見つけ、膨らますこと。
  2. 日ごろから自分の意見を(なるべく人とは異なる観点で)持ち、言語化すること。

とりわけ②に関しては割りとあたりまえのことで、大学にいれば少なからず講義で聞いたりする。とはいえ日頃から実践していないとこの手の思考回路はすぐに凝り固まってしまう。

特定のお題に沿って熟考の後に結論を導く、というのは割りと日常生活で行う動作に含まれる。しかし、簡単な質問に対して答えを用意しておく、あるいはそれに対する反射神経を鍛える、というのは意外と実践できていない気がする。

例えばTOEFLのスピーキングセクションは「一番の友人は?」とか「世の中の事柄を何か一つ変えることができるとしたら何を変える?」とか、返答に窮するような質問ばかりと聞く。もちろん答えが用意されている質問であるとは限らないので、対策テキストとかを読んでいると「とりあえず嘘をついてでも答えろ」ということが推奨されている。とはいえ、どちらにしろとっさにある程度の答えを用意して口に出さないといけないことに変わりはない。

日本語の一文字単位の情報量は欧米圏の言語に比べかなり多い。一方で発話のスピードはかなり遅めだ。すなわち、日本人は要点を取捨選択し話すことや、密度の薄い文章をまとまった分量になるまで話し続ける、といったことに慣れていない可能性がある。

これは英訳や仏訳をしていると時々感じることで、日本語の文章を逐一訳しているとどうしても冗長な感じが出てくる。「何が言いたいの?」ということを常に頭の片隅においておかないと肝心なことが伝わりにくい。そのため、要点を絞り返答をするトレーニングは、コミュニケーションにおいて時間的制約が設けられているシチュエーションにおいてそれなりに効果を発揮すると思う。

そして、やはりそれ以前に、日頃からある程度言語という媒体を用いて自分の意見を持っていることも重要だろう。先の一問一答も、案外そのトレーニングに適しているかもしれない。「あなたの一番の友人は?」と聞かれて、すぐに答えることはできないかもしれないが、自分にとって「友人」とはなにかを考えなおす機会になる。意外と漠然とした問いについて考えることに慣れていないものだ。