Excès, et Marges.

「余白への書き込み」

方言

フランス人の先生にフランス語でディスカッションをする練習をお願いした。お題は「方言le dialecte」。つまり、標準語を規定し方言を統制することのメリットとデメリットについて。僕が勝手に決めたものだが。

「まずは方言le dialecteと訛りl'accentの区別をしなければ」と先生は言った。方言とは文法の違いを伴うもので、例えば芸人の話す関西弁はアクセントの違いしかないのだから訛り、ということになる。なぜこの区別が重要になるかと言うと、フランスには訛りはあっても方言は存在しないからだそうだ。

もう一つ、方言と呼ぶからには、そこには標準語の存在が前提される。フランスで話されていた言語は大別して北部のオイル語le langue d'oïlと南部のオック語le langue d'ocに区分される。言語的な区分はともかく、領主制による分権社会であった中世において、それぞれの地域は独立した地域であり、「標準語le langue standard」と、そこから対比される「方言le dialecte」という構図がそもそも成立しなかった。

オイル語圏にはパリも含まれる。次第にパリによって中央集権化が進められる中で他の言語は言語としての地位を失墜してゆくことになる。アカデミー・フランセーズもその一環だが、特に革命以後のフランスの言語政策は厳しく、学校では方言を話すことが禁じられ、罰が与えられていたそうだ。

未だにブルターニュ地方にはブルトン語が残っているなど、いくつかの「言語」はフランスに残存している。一方でその土地独特のアクセントは当然あるので、それは方言とは呼べないまでも、訛りとして存在する。

しかし、そうなると「方言」とは何ぞや?と思う。特に西欧諸国において言語はナショナリズムと密接な関係を持って確立した。それゆえ、言語学的なアプローチと歴史的な言語観には差異があるが、しかしその一方で、言語はそうした歴史や文化と表裏一体のものとして現前するのだから、その事情は複雑なものになるだろう。

あと、フランコフォニーに関しては方言と呼べるかもしれない。例えばアラブ系や、ユダヤ人のフランス語がそれだ。特にユダヤ人のフランス語はコメディでネタにされるらしく、ユダヤ人のコメディアンも多いらしい。近いうちに見てみたい。